人生で最も大切なものは、情報発信から学んだ
こんにちは、ぼたんです。
このページは
私のプロフィール記事であり、
私がなぜ、
「情報発信」に打ち込むのか。
「情報発信」によって得たものはなにか。
こんな話をしています。
結論を言うと、
私は情報発信に出会ったおかげで、
「人生で最も大切なもの」に気づけたし、
情報発信を通して「夢が叶えられる」し、
大きく人生が変わり続けています。
まず、
人生で最も大切なもの。
それは、「時間」です。
時間の大切さって
意外と多くの人が気づいてないのですが、
人生で使える時間って、思ったより少ないです。
私は人生で残された時間を、
「有限であるから大切にする」
のもそうなんですが、
「自分にとって最高の時間だけにしたい」
んです。
そんな生活が、
「情報発信ビジネス」によって
実現できると確信したから、
発信を続けています。
よく、
「仕事は大変だけど、そのおかげで休日の楽しさが倍増する」
とか、
「人生は苦しくて当たり前、その中で幸せを見つけるんだ」
とかって言いますけど、
そんなの私からしてみれば、
「え?別にずっと楽しくて幸せな時間を過ごせば良くない?」
って思うんですね。
「そうは思っても、現実問題そう上手くはいかないよ」
って言って
毎日ストレスだらけの日々を送る人は
あまりに多いですが、
そう言う人ほど、
自力で行動したことはないし、
自力で行動しようとも思わないんですね。
ただ、知らないだけなんですけどね。
時間の使い方も、
お金の作り方も知らないから、
時間に追われる日々を過ごす。
私は、そんな日々から脱却したかったんです。
だから、行動をして、情報発信に出会った。
ただ、それだけのことなんです。
情報発信に出会ってからというもの、
- 「お金を稼ぐって、簡単だな」
- 「今日も寝ている間に、売上が立った」
- 「今日も人に、感謝されてしまったな」
こんなことを思いながら、
過ごせるようになりました。
思考もマインドも、
昔の私とは180度変わりました。
だって私は、
- バカを極めて極めた低学歴主婦
- 手取り13万のブラック企業で鬱
- あらゆるビジネスで挫折してきた
なんですもん。
そんな私の夢は、「社長」になることです。
面白いですよね。
実は子供の頃から、
ふわっと考えていたことです。
今まで誰にも言わずに
秘密にしていましたけど、
ここでは私のすべてを打ち明けようと思います。
私の生い立ちから、
情報発信に出会ったきっかけまで、
包み隠さずお話しします。
ぜひ最後まで読んでみてください。
私の教科書は「こち亀」だった
私は
「社長になりたい」なんて言ってるくせに、
幼少期は、
意地でも勉強しない、愚すぎる人間でした。
兎にも角にも勉強が大嫌いでして、
小、中、高、と
バカを極めて極めまくったんですね。
勉強が嫌いだから、
大学に行くって考えも1mm足りともなかった。
「早く社会に出て、自立して人生楽しむぞー」
としか思ってなかった。
結構、
周りもそんな感じだったので、
学生時代は
勉強しないことに
違和感すら覚えなかったです。
勉強してる人の方が奇妙だと思って見てた。
両親も、
私が勉強しないことについて
何も言及はしないし、
勉強しなさいと言われたことがないし、
「ぼたんは、愛嬌でうまく生きていきなさい」
って、
ゆるくゆるく育てられたんですね。
でもですね、
私には年子の兄がいまして、
兄はしっかりお金をかけて、
育てられていました。
中学では家庭教師をつけて、
地元近辺では1番偏差値の高い高校に入ったし、
しっかり大学も出て、
今では病院でリハビリ専門医として
バリバリ働いています。
兄は昔から運動神経もいいし、
愛想もいいから友達も多かったし、
年子で年も近い分、
なにかと比較されることが多かったですね。
成績も比較されるし、
運動神経も比較される。
もちろん、通信簿も比較される。
衝撃だった出来事があって、
小学5年の時に、
保護者面談があったんですね。
親が放課後に学校へ呼ばれて、
先生と親が子どものことについて話をする
っていう、
あの、ちょっとドキドキするやつです。
あれでですね、
母親が学校に行ったんですけど、
母親が面談から帰ってきて、
深刻な顔してこう言ったんですよ。
「ぼたん、学校生活はどう?楽しい?」
って。
私は本音で、
「え、めちゃくちゃ楽しいよ。勉強以外はね。」
って答えたら
何やら担任の先生が、
「お兄さんは成績もいいし、運動神経もいいから、ぼたんさんはお兄さんと比較されて、落ち込んだりしていませんか?」
って母親に言ったらしいんですね。
私はそれ聞いて「は???」ですよ。
そんなの、
気にしたこともなければ、
落ち込んだこともなかった。
でも、
担任の先生に言われたことによって
「私って、兄と比較されてるんだ…」
「しかも、落ち込んでると思われているんだ…」
と、
その時初めて知ったんですよ。
あー、周りからは私ってそう見えてるのねって。
「兄は成績優秀なのに、妹は愚かなバカ」
でも私、
超ポジティブ人間なのでこれくらいでは、
まったく気にしていなかった。
母親も、
私があまりにあっけらかんとしているし、
成績で落ち込んだこともなかったから、
先生に言われるまで、
「兄弟で比較する」という概念が
なかったらしい。
うーん、良くも悪くも、ですね。
何が言いたいかと言うと、
私は、
本当に成績が悪かったんですよ。
テスト前でも勉強しないから、
赤点だらけ。
補習箱も常連で馴染みの顔でしたし、
とにかく、勉強に興味がなかった。
これ、社会でどう使うの?
どの場面で、どんな時に使うの?
勉強して、なんの意味があるの?
こんな問いしか、浮かばなかった。
「先生なんて、社会で大事なことは教えてくれないじゃない」
と、
かなりひねくれてましたね。
だから私は、
教科書を読まずに
「こち亀」しか読んでいなかったんですね。
私はこち亀が大好きでですね、
こち亀から人生を学んだ
と言っても過言ではないです。
「両さんになりたい」
と今でも強く思っていますし、
両さんのように、
自由人だし、
事件は起こすし、
問題児なんだけど、
知識が豊富で、
頭がキレる。
人情味が溢れていて、
困ってる人は放っておけない。
そんな人に憧れて、
私の性格形成はされていったと思います。
両さん、めちゃめちゃかっこいいんですよ。
まぁ両さんもいいんだけど、
こち亀の作者である秋元治先生がすごいよね。
知識量が、とにかくすごい。
もう、あれはバケモン。
なんで、そんなことまで知ってるの?
っていつも思いながら、読んでました。
車の話から、
戦車の話になり、
お菓子作りの話になり、
かと思ったら、
たまごっちの話になる。
商売の話もするし、
テレビ業界の話もする。
もはや、
「ググった」レベルの
マニアックさじゃないんだよね。
毎話、
どんな話題でも「オタクの解説」が入る。
それでいて、
1976年から、2016年までの40年間、
週刊少年ジャンプの連載を、
1度も休載したことがないらしいです。
やばくないですか?
毎話、えぐいマニアックな知識を
バババーっとぶち撒けて、週1で連載し続ける。
たぶん、ほとんど寝てないよね。
あ、
長くなるのでこち亀の話はここで割愛します。
おもろいので、ぜひ読んでみて欲しい。
まじで、教科書なんかよりためになります。
本気で打ち込んで、得たものもある
勉強はせずに
成績は最低で愚かだった私ですが、
幼少期、
本気で打ち込んだものもあるんですよ。
それは、
兄の影響で始めた「少年野球」なんですね。
少年しかいない野球チームに、
少女がぽつんと、混ざり込んで。
小学2年で入部して、
小学6年の卒業まで本気で打ち込んでいました。
めちゃめちゃ悔しい思いをしたことがあって、
それがきっかけで、
野球に本気になった出来事があります。
小学3年の時に、
初めて練習試合に出た時の話です。
チームの中でも、
A軍(小学5、6年)とB軍(小学1〜4年)と
チーム分けがされていたんですが、
初めて、
B軍同士の練習試合をしようと
どこかの小学校と話が出て、
B軍ということは、
「私も、練習試合に出れるチャンスだ〜」
と、
前日にめちゃめちゃ気合いを入れて
素振りをして、
明日の試合のために、早く寝たんですね。
で、朝起きた時も
「今日はB軍の試合だよ〜」
と、母親に嬉しそうに話していたんです。
母親も、
そんな私の様子を見ているので
「今日のぼたんのデビュー戦では、絶対何かやってくれる」
と、大いに期待したことでしょうね。
で、
気合いを入れまくって試合開始です。
代打で、バッターボックスに立ちました。
今でも、
この時の風景はハッキリと覚えています。
私よりうんと背の高い、ピッチャーの姿。
「こーい」と、守備軍には、
まるで煽られている気分。
初めての試合で手汗やばいし、
監督がなんか言ってるけど、
やばいなんも聞こえない…
バチクソに緊張してしまって、
バッターボックスの中でカッチコチに固まって
動けなくなったんですね。
でもピッチャーはどんどん球投げてくるし、
ギャラリーはガヤガヤ叫んでるし、
でもみんな何言ってるか聞こえないし、
もう、
私は大パニックを起こしているですね。
三つ編みロングのちっちゃい女の子が、
ブカブカのヘルメットと重たいバットを持って、バッターボックスでガクガク震えている姿、
想像してみてください。
なんてかわいいのでしょう。笑
頑張って、
耳を澄まして周りのガヤガヤを
聞くことにしたんですよ。
そしたら、
うちの母親が、
「振れーーーー」
「バットを振れーーーーー」
「なんでもいいからとにかく振れーーーーーー」
って、
監督以上に大声で叫んでいたんですね。
「そんなの分かってるけど、身体が動かないんだよぉ!!」
「じゃああんたもここに立ってみろよぉ!!バットも持ったことないくせにぃ!!」
と泣く寸前になりながら、
結果的に
「見逃し三振」をしてしまったんですね。
バッターボックスで、
バットを1度も振れず、
三振でアウト、です。
もうさ、
悔しいし、
落ち込んだし、
その姿を
母親に見られてるってのも恥ずかしいし、
「あー、なんでバット振らなかったんだろう」
って。
せめて、
振って、三振したかった。
球に当たらなくても、
プロ野球選手だって、三振くらいはするし。
なんならまぐれで、
バットに球が当たるかもしれないし。
手の平に豆ができるほど、素振りしたのに。
めちゃくちゃ、
めちゃくちゃ後悔しました。
でもこの後悔があったおかげで、
私が変わるきっかけになりました。
とにかく、練習した。
誰よりも、練習した。
男の子に負けないように、
根性を出して、声を出した。
エラーすんのが怖いから
あんまり球飛んできてほしくないんだけど、
「ばっちこいやー」
ってでっかい声で、
いつもバッターを煽りまくっていた。
ヘッドスライディングだってするし、
突き指もいっぱいしたけど、
もう辞めたいって思うことは
1度もなかったんですよね。
本気でやると楽しいんだなって。
何かに打ち込むって、楽しいなって。
この時に、初めて分かったんですよね。
物事は本気で打ち込むと楽しい
ことが分かったし、
ここで、死ぬほど負けず嫌いになりました。
根性を見せた結果、
小学6年の時は背番号9番もらって、
ほぼ毎試合出てほぼレギュラーだったし、
調子いい時期はほぼ毎試合ヒット打ってたし、
ランニングホームランも打ったことあるし、
地区大会ではいつも優勝してたし、
県大会ではベスト4まで行った。
(県内200チーム以上あるなかで)
私がレギュラーになれたせいで、
補欠になった6年だってゴロゴロいる。
女に負けて、
さぞかし悔しい思いをしただろうな。
今の時代は少年野球に女の子って
多いみたいですが、
当時は、まじで少なかったんですよ。
ほんと、全体の1割もいなかった。
いました?
周りに野球少女。
だからここだけの話、
県内ではけっこう話題になった。
強豪チームに、女がいるらしい、と。
ちょっと、調子に乗っていた時期ではある。
ブラック企業でボロ雑巾化、そしてふっ飛ぶ
小、中、高、と勉強してこなかった私は、
「進路どうする?」という時期でも、
「ん〜洋服好きだし、アパレル店員になろっかなw」
とか言ってた、
まじで、愚かで愚かな人間でした。
そして高校の担任に、
「お前、それは辞めとけ」
って言われて、
その夢は一瞬で散ったりとかね。
子どもの頃から
「社長」になりたいと思っているけど、
「うーん、でも、今じゃない」
とか、
調子に乗ったことほざいてましたね。
自分は、
なろうとしなくてもいつか勝手になれる、
と勘違いしていました。
バカにも程があるんですよ。
で、
結局今すぐやりたいことも分からないので、
高校に来た求人から、就職先を選びます。
偏差値30くらいの、
制服が可愛いだけが取り柄の高校に、
来た求人です。
でですね、
ありがたいことに
第一希望の企業に入社が決まりまして、
ものすごく特殊な企業なので、
職種は伏せますけど、
これが、
とんでもないブラック企業だったんですね。
新卒で募集人数が1人だったんですが、
7人の応募があり、
そのうち3人が受かり入社しました。
けっこう、人気の職種なんですよ。
私は、
興味本位だけで受けてしまいましたが。
意外と、
やってみたいと思っている人は多いらしい。
で、
さっそく入社日に違和感を感じました。
先輩が、
「8時半出社だけど、1番下はやること(雑用)がいっぱいだから、明日は6時半に来てね。」
って。
はい。?
入社初日から耳を疑いました。
求人と矛盾がありすぎませんか、と。
「休憩1時間」
へ?毎日0分ですけど?
「残業なし」
へ?先輩が帰るまで帰れませんけど?
「週休2日」
へ?月6回しかないじゃん?
まぁ、
とにかく古い考えの職場でして、
年功序列が激しい上に、
暗黙のルールやら、変な規則やらが、
とにかく多い。
で、
いわゆる女性社会だったので、
ピリピリしてない時がない空間でした。
なかでも面白いのが、
「先輩に仕事をさせてはいけない」
みたいなルールがあってですね(?)
もう、意味不明ですよね。
「先輩を遠くに歩かせてはいけない」
とか、
「先輩をたくさん休ませてあげる」
とか、
おもしろいですよね(?)
いや、
給料もらってるんだから仕事してくれよって。
そしてこの職場、
古い風習が残りに残ってまして、
「男性の立場が上、女性は下」っていう、
昔ながら(?)の風習があったんですね。
なので、
男性社員の言うことはなんでも聞くし、
雑用の幅も種類も、
とんでもなく多かったんです。
お茶出し(今どき)は1日3回あって、
身の回りの掃除や洗濯、整理整頓、
制服のほつれがあったら縫ってあげたり。
(奥さんに縫ってもらえよ…)
なんと、
羽織を着せてあげる、とかもやるんですよ。
靴べらを渡す、とかね。
いやいや、
だから奥さんかって。
「あなた、いってらっしゃい〜」じゃないのよ。
とにかくしょうもないルールで疲弊して、
無駄な雑用で走り回って、
そして人権がないのが辛かった。
先輩よりも
早くお昼食べ終わらないといけないから、
毎日おにぎり1個を40秒で食べて、
仕事に戻ってた。
先輩がゴミを拾ったら、
「ゴミもらいます」って駆け寄って
ゴミを手で受け取った。
先輩が掃除を始めたら、
「掃除変わります」って駆け寄って
ほうきを受け取った。
小さな雑用なんだけど、
すべて合わせると、
500個以上はあるんじゃないかな。やること。
で、
こんなしょうもないことで
先輩がやってることに気づかなかったりすると、
あとで、ブチギレられるんすよ。
その場では何も言われず、
あとで、来るんすよ。
「なんであの時、先輩と変わらなかったの?」
って、
その先輩の同期とかに言われるんですよ。
おもしろいですよね(?)
監視されてるんですよ。
帰る前に
ロッカールームの掃除をしないといけないのに、
先輩がペチャクチャしょうもない雑談してて
帰れないとかね。
そうだ、
たしか1年目なんて、
有給の取り方も教えてもらえなかったし。
しょうもないネタは書ききれない程あるので、
この辺にしておきます。
で、
こんな職場で私は疲弊して、
人間関係でストレスを抱えすぎて、
車で出社しながら、
「あーーこれこのまま突っ込んだらどうなんのかなーー死ぬんかなーー」
って毎日、運転してました。
急に身の回りのものを捨てたくなったら
止まらなくて、
リビングが
カーペットとテーブルとソファだけになり
超ミニマリストになってしまったりとか、
急に仲の良い友人との連絡が
鬱陶しく感じてしまい、
LINEアプリごと消してしまったりとか、
(連絡先0人になった)
なにかと、奇行に走ってしまってました。
当時は同時に
恋愛でも悩んでいたこともあり、
「もう人生とかどうでもいいわー遠くへ行きてー」
と、
だいぶ投げやりになっていました。
でもですね、
そんな時に、自分に問いかけたんですよ。
あれ、
私がなんで他人のせいで悩んでんの?って。
なんで、潰れそうになってんの?って。
私ってポジティブなはずだし、
死ぬほど負けず嫌いなはずだし、
なのに、どうしたの?
って。
こち亀の両さんから、
強く生きるスキルは学んだはずなのに。
なんか、私らしくないなー、と。
「え、てか、まじで遠くへ行けばいいんじゃね?」
と、
思い立った瞬間に、
スマホで「Googleマップ」を開き、
ん〜、津波が怖いから海のないところで、
とりあえず新幹線が走ってるところで、
この辺かな〜、とマップを拡大して、
適当にピンを刺したんですね。
「まじで、どこでもいいから引っ越そ」
って思ってから、
2週間後には、引っ越したんですよ。
マップで、適当にピンを刺したところに。
おぉ〜さいたま市の西区かぁ、みたいな。
よく分からんけど、
繁華街まぁまぁ近いし、ここでいっかな、
みたいな。
次の仕事も決めずに、
車で4時間の関東へ引っ越しました。
引っ越そうと決めてからは
2日でアパート決めて申し込みして、
引っ越しのパンダに連絡して予約して、
1週間後には新幹線で内見に行って契約して、
って感じで、
この時のスピード感は最強でした。
もはや、
失うものが何もないので、
怖いとか不安とかっていう感情がないんですよ。
家族と、
ほんの数人の友人だけにお別れを告げて、
私は地元を離れることにしました。
結果的に、
この行動をして大正解だったと強く思います。
Googleマップで
引っ越し先を決めるのは、
バカにも程があるけどね。
でも、
環境を思い切り変えてみるって、
ものすんごい大事。
人生の模索中、転機もあれば、挫折もある
遠くに引っ越してからは
みるみる体調も良くなっていき、
今の夫と出会い、
結婚というイベントが発生したり、
そのおかげで、最愛の息子と出会えたり、
新しい職場でも
人間関係で悩むことがなくなって、
毎日ハッピー。
なんなら、
ブラック企業で
毎日ピリピリした環境にいたおかげで、
「人が何を考えているのか分かるスキル」
が身についた(?)
要は、
人が何を要求していて、
人がどんな感情で、気持ちで、
何が言いたいのかが、分かるようになりました。
このスキルは結構自慢でして、
「ぼたんさんって、本当に気が利くよね」
って、
軽く、10人以上に言われたことがあります。
そりゃ、当たり前です。
5年間、
先輩・上司の顔色を伺い続けてきたのでね。
ちなみにですが、
大体、
人の特性ってパターン化されていまして、
「あ〜この人は、あの人と同じ思考してるな」
とか、
「この人は、あの人と怒りポイントが同じだな」とか、
いろんな人を見てると、
そんなのが結構、一瞬で見抜けたりします。
自分の中で、パターン化されています。
「なんだこの人、今まで出会ったことがないパターンだ…」
って言う人に、
今後はたくさん出会ってみたいものですね。
同じパターンの人が多いので、
つまらんのです。
とりあえず、
ブラック企業も良い経験になったと
今では思っています。
ブラック企業を辞めてからは
まじで心が疲れてたので、
派遣社員になったこともあるんですよ。
派遣社員って
正社員と給料は変わらないのに、
きっちり定時に帰れるし、
しっかり有給はとれるし、
「仕事に打ち込めない人からしたら、最高の働き方じゃん」
って、
思いましたね。
仕事に打ち込めない人っていうのは、
仕事にやりがいとかない人とか、
生きるために、仕事しなきゃって思う人とか。
やりたくないけど、
食べていくために仕事をしてる人。
そんな人は、この世に結構多いと思います。
でもですね、
私はやっぱり、仕事が好きで、
何かに打ち込みたい、やりたい、
仕事に生きがいを感じたい。
って思う人間だったので、
派遣は1年半で辞めてしまったんですね。
その後は、
夫の転勤があってさらに新しい土地で
暮らすことになったのですが、
「成果が目に見える仕事をしたい」
要は、
歩合制の仕事がしたいなと思いました。
死ぬほど負けず嫌いなので、
歩合制の方が、燃えるなと思ったんです。
そしたらやっぱり営業かなと思い、
県内で数少ないバイクディーラーに
直接電話を掛け、入社を希望しました。
バイク好きということもあり、
営業は未経験でしたが、
あっさり正社員で入社できました。
営業の経験から学んだことは多くてですね、
まず、
営業が未経験だろうが、
営業の勉強をしたことも、
研修も受けたことがなくても、
できる人を見てそのままやれば、
できてしまうということ。
要はですね、
私は店長の真似をしまくっていたんですね。
喋りも、動きも、何もかも、です。
営業の本とか読んだことないし、
「営業 コツ」とか、
ググったこともない。
店長がお客さんに話しかけるトークを
こっそり聞いて、
自分もまったく同じトークで
お客さんに話しかける。
店長が契約書の説明をしていたら
こっそり聞いて、丸暗記して、
同じようにお客さんに話す。
基本的に、見て盗む、パクる、
を、やっていました。
これがなんと、
血肉になるのが異常に早くてですね。
初めての営業で不安だらけ、
初めてお客さんに話しかける時とか
めちゃくちゃ勇気入りましたけど、
やっていくうちに、ほんと、
1、2週間で慣れてしまうんですよ。
量をこなせば、
ハードルは下がっていくんだな、と。
自分は営業に向いていた、
というより、
店長の完コピをしているので、
当たり前にできた、
という感じでやっていました。
この営業の経験から、
「人に感謝される喜び」を知りました。
人ってみんな、
人に感謝されるのが嬉しい生き物なんですけど、
私の場合は人一倍、
人に感謝されたり、人のために行動したり、
人を喜ばせることが好きな生き物だわ、と。
この営業の経験から、知ることができました。
まじで、
人を喜ばせるって超気持ちいいんですよ。
たかがバイクを売る、
それだけで?と思うかもしれないけど、
ライダーにとって、
バイクってただの乗り物・足だけでは
ないんです。
いろんな感情を持って、
バイクに乗っているんですよ。
最高にイカしたバイクを持つという
「所有感を満たしたい」とか、
バイクというモビリティを
「操縦する楽しさを感じたい」とか、
風を切って走ることで
「ストレス発散したい」とか。
ただただ、
「かっこいい」って乗ってる人もいる。
そんなお客さんの感情を理解して、
お客さんに要望に合わせた、
最高のバイクを提案する。
これがバコーンとハマった時に、
お客さんから、超感謝されるんですよ。
分かってるね〜、って。
最高だよ〜、って。
私も高校2年の時に、
ルパン三世の峰不二子ちゃんに憧れて、
中型免許を取ったんですよ。
なので、
バイクに乗りたいお客さんの感情が、
よく分かるんですね。
なんとなく、
営業だから、仕事だから、で
バイクを売っていたら、
きっと、全然楽しくなかったと思います。
人の感情を理解するのは、楽しい。
そして、人の感情を理解すると、感謝される。
感謝されると、私も嬉しい。
それが実質、売り上げに繋がってるなぁ、と。
そんなことを、ここで学びました。
「わざわざ県外から来た甲斐がありました」
「もう1台欲しいんで、2台目も担当してください」
「別の店に行かなくて良かったよ、ぼたんさんに出会えたから」
んー数え切れないくらい、
感謝されまくりました。
そろそろ子どもが欲しい、と
退職を決めた時も、ハガキで挨拶状を出したら
寂しいよーとわざわざ電話をくれたり、
最後に写真を、とお店に来てくれたり、
ハガキにびっしりの長文で言葉をくれたり、
仙台から3時間かけて
花束を持ってきてくれたり、
でっかいチョコレートタワーを
持ってきてくれたり、
営業とお客さんの間で、こんな関係になる?
ってくらい、
我ながら、めちゃめちゃ愛されました。
入社して、
たった1年で300台以上を売り上げました。
納車前も合わせると、全部で360台くらい。
私が勤めた店舗では、
女性営業マンは私が初だったので、
女性初No.1営業マンと称されました。
この営業で学んだことは、
情報発信にも活かせることが多いのです。
この後は、挫折のお話です。
情報発信との出会い、ビビッとときめいた
営業を辞めてから、
幸いにもすぐに子どもを授かりました。
子どもがお腹にいる時に、
やっぱりこれからの時代、
家で仕事ができたら最強だよなー。
子どもが小さいうちは、
職場に迷惑かけまくるしなー。
てか、
私はいつになったら
「社長」になろうとするんだろう。
自分でも、タイミングが分からない。
とりあえず、
フリーランスにはなりたいな、とか考えながら、
「パソコン1つでできる仕事」
というのをググりまくっていました。
ネットビジネスとか怪しいし、
結局、収入の入り口が不明だし、
とにかく、クリーンな仕事をしたい。
子どもがいるのに、
怪しい仕事なんて絶対にしたくない。
なのに、
ネットで稼げる情報って、怪しい情報ばっか。
「怪しいネットビジネスはないな、うん」
こうして私は、
YouTuber、ブロガー、ライターに挑戦します。
YouTubeで
日常ブイログ系を見るのが好きだったので、
見様見真似で機材を揃えてやってみたんですが、
当時つわりがひどすぎて、
収益どころか、
チャンネル登録者25人で断念。
愛車のバイクを売ってまで、
カメラとiPadと動画編集アプリを買ったのに、
撮影はしんどいし、編集はしんどいしで、
YouTuberって、まったく楽じゃないなと、YouTuberの苦労を知りました。
そして次に、
ブロガーになろうとします。
安定期に入りつわりが落ち着き、
毎日暇だなーって思っている時に、
「主婦がブログで月収30万円達成」
というタイトルを見かけて、
まじかーと思いながら読み進めたんですが、
お、ブログってなんか、いけそう、と。
文章を書いて置いておくだけで、
寝てる時も記事が働いてくれるのかー。
ブログ、いいじゃん。
アフィリエイト?とかよく分からんから、
とりあえずアドセンスに受かりてー、と
「Googleアドセンスを受かる」
ことだけにこだわっていました。
とりあえず、
アドセンス受かったらなんか
ブロガーっぽいよなーと、
そんな単純な考えで、
ひたすらアドセンスの情報を
ググりまくりました。
でも、
SEOだとかまともに勉強してないから、
一向にアドセンス受かる気配がない。
「文章力を上げればいいのか?」
と、クラウドワークスで
ライター募集の応募をしてみます。
ライターとして記事を書く練習をすれば、
文章力が上がるのではないか?と。
お得意の、
「習うより、身体で慣れろ」です。
商品紹介の記事を書くことになったんですが、
これがまー、時間がかかる。
1記事を、10日かけて納品してました。
商品紹介の記事って、
自分が使ったことのない商品の紹介をするので、
5個の商品を調べるだけで
平気で丸1日は使う。
とにかく調べまくるので
知識が増えるのはメリットでしたが、
1文字1.1円で1記事5,500円。
1日8時間の作業をしたとしても
日給550円。時給換算すると、69円。
やってられっか、と。
しかもこれから出産があるのに、
コツコツ単価上げなんてやってられないぞ、
と。
YouTube、ブロガーは
半年以上、収益0であきらめて、
ライターは2万円ほど稼げたものの、
あっさり、断念。
ぼとぼとしてるうちに、
出産を迎えてしまいました。
当分は子育てに追われて、
フリーランスになるのは無謀だな、と。
でも、
なんか情報は集めておきたいなー、と、
産後1ヶ月半から、
Twitter𝕏で情報収集を始めました。
初心者ブロガーとして
アカウントを登録していたら、
毎日のように届くDMや勧誘にうんざり。
「なにか、副業をされているんですか?」
「なにか、悩みがあったら聞きますよ?」
もう、すべてがうさんくさい。
そもそも、
Twitter𝕏で情報を得るのが間違いだったか…
そんな感じで2ヶ月程、
すべての実績や情報が
嘘に見えるタイムラインを、
子育てのスキマ時間で眺めていました。
この後、私の人生が変わる瞬間です。
子どもが生後4ヶ月、
赤ちゃんのいる生活に慣れた頃です。
ふと、
タイムラインを眺めたら
「無料でレポート配ります」の投稿が。
内容は伏せますが、
それは私にとって、
非常に興味深い内容のレポートでした。
てか、
「社長」になるための情報が
ここにはあるんじゃないか、という内容。
それが無料。
ビビッと、来ました。
実際に受け取って読んでみたら、
今までに感じたことのない、
脳汁がブワーッと出てくる感覚。
「まだ読んでいる途中ですが、脳汁がやばいです」
と、
テンションが上がって
LINEを送ってしまったのを、
今でもはっきりと覚えています。
なんで、
こんなえぐい情報を無料で配ってるんだ?
とその方のアカウントを見に行きまして、
投稿をざーっとスクロールして
見てみたんですね。
そしたらなんと、気づいたらですね、
たった1日で
Twitter 𝕏の投稿をすべて遡ってしまい、
ブログの投稿をすべて読んでしまい、
大興奮で眠れなくなってしまったんですね。
ビジネス発信者がうじゃうじゃいる中で、
「あ、これは天下取る人だ。間違いない。」
と、
私はたった1日で確信しました。
ビビッとときめいたんです。
ですが、
まだまだネットに疑い深い私。
絶対、裏になんかある、と。
そう思っていたのも束の間、
その方と少しやり取りをしただけで、
私の中で初めて、
ネットビジネスの怪しさというのが
払拭されたんです。
なんか普通に名前教えてくれるし、
ググったらなんか情報出てくるし、
みたいな。
(疑いすぎて、本当にごめんなさい、すみませんでした)
ネットの繋がりって、
顔が見えないから心配じゃないですか。
女性は特に、そうだと思います。
でも、
この方は全然怪しくないぞ、と。
しかも、
枝葉のしょうもないノウハウじゃなくて、
ビジネスの原理原則とか教えてくれるぞ。
「この方についていけば、間違いなく人生が変わる」
そう思い、
速攻で弟子入りさせてもらいました。
もう、
ちまちま教材買うのとか
遠回りしたくなかったので。
最短最速の、近道を選びました。
時間がもったいないですし。
で、
すぐに、
師匠から
情報発信の素晴らしさを学びました。
人に感謝されながら、
稼げる人を増やしながら、
自分自身も稼いでいく。
あれ、
私の追い求めていた仕事って、
まさにこれじゃん、天職じゃん、と。
そうなんですよ。
情報発信って、
人に感謝されながら、
稼げる人を増やしながら、
自分自身も稼いでいく。(2回目)
こんなに世のため人のためな仕事、
他にありますか?って、本気で思う。
「自力で稼ぐ知識」
を持っている人が増えれば増えるほど、
経済にも良い影響を与えられるよね。
パソコン1つで仕事ができる人が増えれば、
少子化問題も
ぐんぐん良くなっていくんじゃないか、
と思う。
女性ってだけで、企業で働きづらいじゃん。
どうせ産休取るんでしょって、
言われるのいやじゃん。
国にとって子どもは宝のはずなのに。
あとはなんといっても、
私が人生で最も大切にしている、
「時間を大切にできる」が最大の強み。
情報発信って、
コンテンツを資産として、
一生持ち続けることができるんですよ。
1度作ったものは、
それが一生、寝ている間も仕事をしてくれる。
情報発信の場合は1度コンテンツを作れば、
不特定多数に、
一気に届けられて、
自分が寝ている間も、
勝手に売上が上がる。
これがもし営業だったら、
1人のお客さんに、
何時間もトークして、
時間を切り売りして、
やっと売上が上がる。
毎日、これの繰り返し。
ネット発信と対面営業の違い、
これやばくないですか?
毎日、
会社で同じ作業の繰り返しをしなくても、
1度作ってしまえば、資産となり、
勝手に働き続けてくれる。
控えめに言っても、
情報発信って、やばいんですよ。
レバレッジが、えぐいんです。
なんでみんな、これやらないの?
って、正直思う。
でも、みんな知らないだけなんですよね。
毎日毎日、あー忙しい忙しい、と
バタバタ生活してるのって、
あー知らないだけで、
こんな生活になるんだなー、と。
知ってさえいれば、
「ネットで自力で稼ぐ」って
頭にハテナが浮かぶこともないし、
子どもとお昼寝してる間にも
勝手にポロポロとコンテンツが売れていき、
「めちゃくちゃ学びになりました!」
って感謝され続ける。
この記事もある意味コンテンツだけど、
この記事を読んで
「情報発信をやってみたい」
と思った人がいるなら、
「情報発信でその人の人生を変えた」
と言っても過言ではないと思っているし、
情報発信を始めた時点で、
その人の人生はすでに変わり始めている、
と思っています。
それくらい、情報発信には夢がある。
もちろん、
正しい知識を身につける必要はあります。
枝葉ではなく、
本質を学ぶ必要はあります。
ビジネスの本質を学ぶと、
何が正しくて、何が正しくないか、
一瞬で分かるようになります。
私は今まで、
まったく勉強をしてこなかった人生ですが、
母になって、情報発信に出会ってから、
毎日、めちゃくちゃ勉強しまくっています。
新しい知識を、バコバコに入れまくっています。
学びが楽しすぎて、辞められません。
脳汁が出まくっていて、辞められません。
「最高な時間」だけを作るため、
それは子どものためでもあるし、
自分のためでもあるし、
私と同じように、
時間を大切に思える人を増やしたい、
という思いもあります。
シンプルに、
時間を大切にすると、人生が変わります。
時間の使い方も変わるし、
最低な時間を過ごすことがなくなります。
最高な時間だけを過ごしたくなるはずなので。
時間を大切にしようと思うと、
自然と「稼がなきゃな」になるんです。
そこで、何をやるか。
時間の切り売りで労働するか、
ネットで資産を積み上げていくか。
私は、
情報発信の世界で、
資産を積み上げていくことにしました。
そして、「社長」になる予定です。
見ていてください。
以上です。
私の本音をすべて語ってしまいました。
ぜひ、感想なんか送ってくれると励みになります。
実は、
情報発信を始めてすぐに、病気になりました。
その記事がこちら。
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